• 2016.09.28


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【8の日 日記】

デザインに関わっていると、単純なことだけれど、
「どこまでこだわるか。」
「こだわらなければ、それは実現できないのか。」
という課題に直面することがある。

芸術としてなのか、美しさとしてなのか、機能としてなのか、構造としてなのか。。。あるいはそれ以外の何かなのか。。。

建築について言えば、建築家の曖昧な捉え方や判断が神秘性や神格性を与えてしまって、現実的に本当に必要なのかどうか怪しいものが多いように思う。

自分だけの世界に閉じこもっているとそのあたりがほとんど見えない。それは仕事をする場所が日本であろうが、海外であろうが同じで、『この人はすごいな』と思う人に共通するのはもっと別次元での<こだわり>がある。

多くの人間が関わる建築について僕自身が考えていることを言えば、建築家の役割は「カタチと寸法を与えて空間をつくる」ことにあり、それを実現するのは、それを考えた建築家が号令を掛け、指示をする以外、そこに建築は生まれ出ずることはないということ。たとえそれが紆余曲折を得て違うものに育っていったとしても、根っこの部分がしっかりしていれば、大きな木として生まれ育っていく。

連雲港でつくられている建築は、確かに僕自身が描いた「絵」に、僕自身が「カタチと寸法」を与えて、それが根っこになってつくられている。つくられていく過程で、その地域の風土・文化・歴史・人・材料・考え方・作り方などで、似て非なるものになっていったとしても、大きな部分での考え方が、最初に描いた「絵」と同じであれば、それで良い。

「どこまでこだわるか。」
「こだわらなければ、それは実現できないのか。」